WE LOVE SATURDAYS.一周年に寄せて。
(文:中谷琢弥/ライター)
毎週土曜日の帯で、“WE LOVE SATURDAYS.”と銘打ち、大沢伸一、DJ EMMA、石野卓球、DJ SUGIURUMN、TOWA TEI(のみ、第5週なので毎月ではない)という、クオリティと集客力を伴う日本最高峰の五人をレジデンツDJとして開催して早一年。仮にこれが京都じゃなく、東京のクラブだったとしても変わらずに、ものすごい試みのコンテンツだ、と断言できる。それぞれのパーティーの魅力については、今年から毎月書かせてもらっているパーティーリコメンド文を追ってもらえればわかるので(ワールドのオフィシャルサイトでは以前のものも読めるようになっている)、ここでは省略しよう。
筆者がWLS.一周年のタイミングで遊びにいったのは、5月15日、石野卓球による“SPRUNG”の夜だ。近くの居酒屋で軽く飲んで、24時すぎに着いた頃にはDJ NAPALMがプレイ中。かの京大・西連協のボスを長く務めてきた、京都アンダーグラウンド界隈の重要人物だ。ボディ・ミュージック〜インダストリアルあたりの荒々しく生々しい、不穏なビートがワールドに響き渡っている。オーディエンスを簡単にアゲる、なんてことはせえへんよ、という気概がカッコいい。ワールドという大バコの特性や、お客さんが求めていることを考えると、その行為はギリギリだけれど。かといって、次の石野卓球に繋げるために次第にアッパーにしていきました、という当たり障りのないプレイだったとしても、なんだかなあ、と感じていただろうが。結果的には、石野卓球のプレイが始まり、強烈なグルーヴが作られていく頃には、このDJ NAPALMの選曲は正しかった、と気付く。いつの間にか、一連の流れとして見事な連なりになっているのだ。フロアはすでに一切の妥協のない、硬質なテクノで満たされている。ガッシガシに踊る人たち。VJ宇川直宏の映像は、安易に音楽に寄り添ったり反応したりするんじゃなく、目と耳、どちらが先ということもなく絡まっていく感覚だ。ゴゴゴゴゴッッと。触覚を刺激・浸食する音楽や映像が肉体的にグルーヴする、歓喜と熱狂の夜の始まりだ。
すると、フロアの真ん中前あたりで、数人が輪? になって集まって、手を挙げて(ハンズアップじゃない)、跳んで、「オイッ! オイッ! オイッ! オイッ!」と勝手に盛り上がっている。ワールドで未だに見かける、どうも苦手な光景。それはクラブじゃない。ワールドは7月で9周年を迎えるが、お客さんはまだ成熟していないのか、と少しばかり落胆する。学生の街だから、なのだろうか。大阪には(もちろん東京にも)ない盛り上がり方だ。いや、一時期流行ったニューエレクトロの、若い現場では見てきたなあ。そこにある音楽や流れを無視した変な一体感(なのかそもそもそれは?)に、それはアカンやろ、と眉をひそめてしまうのだ。どうせなら、カッコよく遊んでほしいから。
一方で、ワールドでは“出会い”の多さも見受けられる。それをナンパと呼んでしまえば表情も変わってしまうが。まあナンパでも構わないけどね。クラブは社交場、とはよく言われることで、出会いも大きな魅力のひとつなのだ。でもその場にある空気感は尖っている、というバランスこそがワールドの持ち味であって。卓球さんも、ワールドのマンスリーフライヤー/ウェブサイトで展開中の企画「100 tweets」のなかで「京都ワールドにしかない魅力とは!」という問いに、「音楽とパーティーに対する真面目さとチャラらが絶妙! 京都の人達もっと自慢していいと思いますよ」と回答しているくらいだしね。音楽という仕掛けで、遊び尽くすということ。ときにクリエイティブな、最新のものを目の当たりにできること。クラブには、そういったチャンスが溢れているのだ。
これも前述「100 tweets」のなかで、質問のひとつに使用している言葉だが、イアン・マッケイの「新しいアイディア、新しいアプローチというものは2000人の前では起こらない。そういうのは20人~25人が目撃するものなんだ」というのがある。これに共感するし、それを目撃したい、とも常々意識している。でも、じゃあ大バコやビッグ・パーティーはどうなんだと言われれば、「好きです」と間髪置かず、素直に答えられる自分も知っている。という両者に思いを馳せてもらいながら、最後はジェフ・ミルズの言葉で締めよう。以前、本人にインタビューした際のもので、目から鱗という以上に、軽く(そして今なお強く)価値の変化を導かれた言葉だ。筆者からの質問は、「あなたにとってアンダーグラウンドとは?」というもの(蛇足かもしれないが、ジェフ・ミルズはコメント中に出てくるURの創設メンバーのひとりだ)。
「これはかなり正直な意見なんだけど、アンダーグラウンドっていうのは、本来自分がいたいところに行けない状態、もしくはホントはこれがしたいのに環境のせいで出来ない状態、を指しているものだ。それを表向きに覆い隠す、建て前の言葉でしかない。音楽業界ではよく使われるけれどね。例えばURにしても、彼らがアンダーグラウンド・レジスタンスと名乗っているのは、本当は『もっとこんなことがしたい』っていうイメージがあるんだけど、今はまだそこに辿り着けていない、自分たちには今はこれしかできない、というのを表しているにすぎない。本当に自分たちがやりたいことを実現してしまったら、アンダーグラウンドと名乗る必要はなくなるしね。アンダーグラウンドでずっといたい人がいるとは思えない。人間はそういうものではないから。何かを表現しているというのは、現状を変えたい、良くしたいからで、それができない状態、そこに到達するまでの一時的な期間をアンダーグラウンドと呼ぶんじゃないかな」 |